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嫌われトールの二日目 [サンプル生育歴]

そう言えばこんな事を思い出した。

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「え?株売っちゃったよ」
「売った?出世にも関係するんだぞ」

あっけらかんとした母に比べ、低くしかし真剣な口調の父が対象的だった。






まあ、イジメ初めの小学4年生の年は、私が第一次反抗期に入ったせいか、はたまた人間として世界が
広がる年齢なのか、色々な事があった。






父の会社は急成長した様で、その創業メンバーなのか、それに近いメンバーなのか、若くして常務
取締役になった。常務と言っても雇われだから、それ程でも無い。






しかし、株式を一部上場するとなると話は別だ。未公開株を先ず社員に優先的に分配、その後上場
するんだから、これがこそが創業メンバーの醍醐味だ。






今のIT創業メンバーなら、その場でリタイアして気ままな生活も夢じゃ無い。そのまま六本木ヒルズ
に入居して会社に留まるのもそれもまた善し。

未公開株を持つと言う事はそれ位の意味を持つ。この年になると良く分かる。






それで、気軽に株を売った母と青ざめた父がどんな状況だったのかは知らない。公開直後に大量の株式
が市場に出たら、出何処を調査されただろうな。当時子どもだったからそれ以上の事は分からない。
母も何にも言わないし。






ある日「今日は下で寝なさい」母に命令され、父母の布団の隣に寝る事に。

寝ていると、応接間でなにやら険悪な言い合い。突然母が部屋から出てきて、私の布団にバッタと
覆い被さり、「アーーーン、アーーーーン」と大声で泣き出した。相当泣き続けていたが、ぴたっと
泣き止むとまた応接間へ戻って行った。

あれ程泣いたんだからどれ程布団が濡れたんだろうと手で一生懸命触ったが、ドコも濡れてなかった。






また、ある日「トールトール。これからお父さんに電話を掛けるから。ケーキ買って帰ってきてって言いなさい」






「もしもし、山岸ですけどお父さん居ますか。ちょっと変わって貰えますか。
オ・トーサン、(けーき)ケーキ(買って)カッテ(かえって)カエッテ(きてね)キテネ
(館の)ヤカタノ(けーきね)ケーキネ」ガチャン。






母にとって私は都合の良い道具だ。「トール、ソースが少し足りない。土橋さんに電話しとくから
ソース借りてきて」「ごめん下さい。お・ソース貸して貰えますか」






「まー、こんなコップいっぱい。貸してって言うんだからほんのチョットでいいのにねー」






食い物の貸し借りなんてのは、落語の長屋話の話であって、実際は気持ちのいい物じゃ無い。
実際に借りに行ってみると分かるだろう。歌手の牧村三枝子もその話をすると涙ぐんでた






ところが、中には母の様に真に受ける人間も居る。さらに母は常務兼工場長の妻。土橋さんは部下だ。
ソースを貸せと言われてどうすべきか相当悩んだろう。






悩んだ末、大きめのコップを並々とソースで満たし、ラップでフタをして渡したのだ。






いくら鈍感な母でも少しは気が付いたか、その後は借りに行かされなくなった。






「トール、お父さんとお母さんが別れたらどっちと来る?」
「お父さんに決まってるじゃん」
「だって、お父さんと行くとご飯食べられないよ
「お母さんと行ったらご飯買う金無いじゃん
「・・・」






「トール、お父さんとお母さんが別れたらどっちと来る?」
「お母さんと行く。お父さん何にも出来ないからね」
「あらそう。お母さんと来るの」






流石に自閉症でも、何か気付いたんだな。それとも食えない夕食のイジメを受けて身に染みたのかな。
この辺とイジメとの関連は全く覚えていない。それぞれのエピソードが存在するだけで、イジメと
リンクしてないのが自閉症らしさか。






正常な人なら、母親の顔色の変化と受けた苛めがリンクして社会性が増すんだろう。そこは自閉症。
いくら苛めてもリンクしないから、ドコまで苛めても分からない相手に苛めをしてるウチに、
苛めがメインになって、何を分からせる為なのか、分からなくなっちゃうんだろうね。






何を分からせるのか分からなければ、イジメを止めるきっかけが無くなる訳だ。すると気分次第で
苛め続ける事になるんだろう。






閉鎖された世界に居ると怖いね。

こんな毎日が続いて5年生の夏に死のうとしたんだけど死に損なっちゃったんだな。



【自閉症テレビ2】生きてて良かった


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嫌われトールの一日 [サンプル生育歴]

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「ホントにアンタはなまっちろくてしょうが無いね、情けない。腕なんか棒みたい。三上君見て
ごらん。あんなに元気いっぱいで。アンタもチョットは見習いなさい



「おかあさん。我が輩養命酒飲むよ
「なんでそんなモン飲む必要があるの。そんなモン必要無いでしょ!」小学1年秋






またオニババが坂の上で腰に手を上て仁王立ちだ。
「トーールーー、今何時だとおもってるのー!ゴハンの前に帰ってきなさいって言ったでしょーーー」



遙か向こうなのに、でかい声で怒鳴ってる。



帰りたくないけど帰らなきゃいけない。ああ、だんだん近づいて来た。
「コラッ!トール!」「・・・」 小学2年の春から小学3年の秋まで何度も何度も






「トール。なんでこういう事をするの」両肩をガッチリつかまれ顔を近づけ何度も言う。
「グニャグニャしてないでキチッと立ちなさいキチッと」顔に息が掛かるのでなんとかよけようとする。
「どうしてキチッとしないの。顔こっちに向けて。お母さんの顔見なさい
息を止めて何とか顔を正面に向けたふりをする。
「もおしない?」「ぅ・」
「キチッと顔上げて、お母さんの目を見て返事をしなさい」「うん」顔に息が掛かるのが嫌で嫌で嫌で嫌で、
キチッとお母さんの目を見て答えろが一番こたえるよな。4才児の頃からずっと。






私小学2年、長女小6でカナリヤを買って貰う。多分性教育の為だね。

「お母さん。じゃあ我が輩は鳩飼っていい?」「いいよ。4年生になったらね」
「お母さん。4年生になったら鳩飼っていいんだよね」「そうだね」小3の春
「お母さん。4年生になったら鳩飼っていいんだよね」「5年になったらね」小3の3学期
「お母さん、5年生になったら鳩飼っていいんだよね」「・・・」小4の夏
「お母さん、5年生になったら鳩飼っていいんだよね」「・・・」小4の終わり
「お母さん、5年生になったから鳩飼っていいんだよね」「もうチョット待ちなさい」小5の5月

「お母さん、5年生だから鳩飼っていいんだよね」
「世話も出来ないくせにドーすんだ!ドコに鳩小屋建てるんだ!」






何もレース鳩に憧れて、レースさせようなんて言うんじゃ無い。小学2年の時は何も飼う事を許され
ないけど、小学4年になったら鳩を飼える程大人になる。飼っても良い権利を認められたかった
だけで、別にどうしても鳩が欲しい訳じゃ無い。






だから、何度も何度も何度も何度も、飼っても良い立場になったのか確認をしているのに、
突然キレられてもこっちが困る。






今、考えてみれば、子供相手の軽口がとんでもない事になって、毎日毎日毎日毎日プレッシャーを
掛けられるんだから、いい気はしないだろう。こっちは本物の自閉症だから忘れないしね。






だからと言うか、私自身全く前後の脈絡を全く思い出せないが、忘れない言われた事と言うのもある。






「ほんと、アンタはキーキー女みたいな甲高い声を出して気持ち悪い。男って言う物はペラペラ
しゃべるモンじゃ無い。男は黙ってサッポロビール。少しは黙ってなさい」小4






「お母さん、少年合唱団っておんなみたいで気持ち悪い声だよね」
どーして。綺麗な声でしょう。だれが気持ち悪いの」小4






「一銭も稼げないくせに何言ってんだ!」
母親の背に向かって何か話していたら突然大声で叫んだ。






小5の参観日にはこんな事があった。大阪とは違い参観する親はたった4人。授業の演目は
「お父さんと遊びたい」教師の問いかけに、予定調和の子供の答えが続く。

「お父さんとキャッチボールがしたいです」
「お父さんとトランプして遊びたいです」






嘘くさくって私が手を上げた。「はい」「やまぎしさん」






「別にお父さんに遊んで欲しくありません」
「ハイッ!ハイ!この子は知らないんです。この子の為にわざわざ東京から遊んでくれる人を呼んで 遊んで貰っている事を知らないんです!」

( おおっスゲースゲー。 山岸のかーちゃんだろー?ヤマギシヤマギシ。だれ?だれっ? )






「・・・・・はっ、・・・おかあさん。ここはチョッと。今は・・」「‥いいです」

私はうつむいて座るしか無かった。






それにしてもスゲー家だな。東京から遊んでくれる人を呼ぶなんてどんな家なんだ?そんな家
あるかよ。嘘なんだよ






その授業参観の日、暗くなっても母は帰って来ない。

「トール君何やったの?おかあさん一番最後に残されてるんだよ。だから遅いんだよ。なんか先生に
言われてるんだよ」カーコが脅す。






母が凄い勢いで歩いて帰ってきて、凄い勢いで玄関の扉を開けた。

「トール!何が言いたいの!言いたい事があったら言いなさい!」

凄い剣幕だ。目が本気でつり上がってる。それで思わず言いたい事を言ってしまった。






「おかあさん!くち臭い!」






あの剣幕が嘘の様に静まりかえり、それで何故か終わった。






実は、終わったようで終わりでは無かった。






毎日、何が楽しいのかと思う程の食い物のイジメに加え、今度は毎日、
「トール。口臭いよ。歯みがいたの、気をつけなさい」が追加された。






これも本当に熱心で、親子の縁を切るまで続いた。妻が良く知っている。もし親子の再会をしたら、
先ず言われる。「トール、口臭いよ」間違い無い。



【自閉症テレビ27】昔神経質今感覚過敏


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くせは 死んでも直らない [サンプル生育歴]

「ホラ、ちゃんとしなさいちゃんと」「早くしなさい、サッサとサッサと
「ホントにあんたはノロマなんだから」「ホラ、デレデレしないデレデレ

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四つの時の写真。 今でもこのおんなじ姿勢。 小さくて発育わるし。






とにかく、まとめると、動作がノロマで、いつもフニャフニャ、デレデレしていて、すぐ横になって
しまう。と言う事か。






小学1年の夏休み。初めての夏休み。昼寝をしなさいと言われても、横になって無理矢理寝たふりを
するだけで寝た事は無かった。(ハズ)






小学4年になってからは、社会性の広がりと言うか、周りの子供達が成長するのに対して社会的な遅れ
が出だしたのか、学校から帰るともの凄く眠くなった。






長いすで横になると「こんなとこで寝るんじゃ無い」と言う。






子供の身体はまだ柔らかく、畳の上で横になっても痛いだけで眠る事なんか出来ない。座布団を探し
出して、2枚程曳いて寝ていると、「そんな事しないで、寝るなら布団を出して寝なさい」と言う。






しょうが無いので布団を出して寝ると「こんな時間に寝る人間がドコに居る!さっさと起きなさい」
と言う。






結局寝る事は許されない。






寝る事が許されない上に説教だ。高校教師をやっている従兄弟が家に来た。

「チョット良一、トールがデレデレしてばっかりだから説教してちょうだい」
「何?お前デレデレしてるのか?お前のオヤジも寝てばかり。お前も気を付けろよ






この台詞は、良一だけでは無く、我が母の定番でもあり、何十回聞かされたか。






しかし、「気を付けろ」と言われても何に気を付けるんだ?






第一、「お前のオヤジ寝てばかり」って言ったって、あなたが説教している時点で、我が父は45才、
一部上場企業の常務取締役だ。






デレデレ寝てばかりで常務取締役。何が不足なんだ?どうしろって言うんだ?






言ってる意味がサッパリ分からない、常務じゃ不足だから社長になれってハッパを掛けてるのか?
どこまで欲深な女なんだ






それで、私は子供の前では父親の悪口を言った事が無い。とか、従兄弟の学歴の話ばかりしている
くせに、私は勉強をしなさいと言った事が無いとか、平気で言えるんだよな。






この人(母)は、「ウソつくんじゃ無い」が口癖なんだけど、実は本人が一番嘘つきなんだよな。






大阪の隣の家は、確か「徳川くん」の家で名前が「家康」くんだったと思うんだな。息子にどんな名前
を付けようが構わないが、ホントに良いとこの家みたいで、3時になるとお母さんがイチゴが乗った
ショートケーキをお盆に乗せて部屋に入って来る「いえやすさん。おこーちゃですよ」。






その姿を偶然見た私は本当にショックを受けた。
 
 1.学校が終わった後に、毎日部屋で勉強をしている事。
 2.おやつの時間があって、ケーキを子供に食べさせようとする事。
 3.そのお供がおコーチャだった事。

テレビで見たような話が現実に、目の前で起きている。それも当たり前の様に、当然の事として。






驚いた。本当に驚いた。その夜すぐに、母親姉妹に報告だ。母は「何気取ってるんだろうね」
大笑い。みんなも思いつく限り笑いものにした。






それから、2年。今度は北海道の札幌手稲だ。当時は未開発、今の道東と変わらない。そんな北海道は
自然が多く、学校も木造で本当に嬉しかった。小学3年10月おしゃべりの坂口君とすぐ仲良しになり、
坂口君が家に遊びに来た。






翌日、学校でチョットした騒ぎになった。

「山岸のカーちゃんすげーんだぜ。『トールさん。お紅茶ですよ』って、山岸の事『トールさん』って
呼ぶんだぜ」






「ウソだよ。ウソだよ。そんな風に呼ばれた事無いよ。なんかの間違いだよ」
「ホントだよだってオレ聞いたモン」
「ホントかよ。じゃあもう一度来てくれよ。その時オレも確認するから
「また行っていいの?」「いいよいいよ。すぐこいよ」






その日かどうかは忘れたが、坂口はすぐ来た。






「トールさん。今日もお友達?」坂口と直ぐ目が合った。






「うん、うん、分かった分かった。分かったからあっち行ってて」
「あら、そぉ。じゃあごゆっくり」






「なー言ったろー?」
「言った言った。いつもは言わないんだぜ。トールー!トールー!って呼び捨てだぜ」
「ホントかよ」
「じゃあ今度は、コーチャ持ってくるか見てようぜ」






「トールさん、おコーチャのむ?」
「うん。のむのむ。サンキュー」






北海道のど田舎の小さな商店、それも8人兄妹の雑多な育ちで、あんなに隣の徳川さんを笑いものに
したのに「トールさん、おコーチャですよ」とは本当に驚天動地だ。






早速、この話は姉二人の前で笑いの種だ。

「お母さん。カーコの友達来たときは止めてよね」
「お母さん、ヨーコの時も絶対やめてよ」

あれ程徳川さんを笑いものにしてたんだ。母は黙って聞くばかりだった。






おかげで、その後「トールさん」とは呼ばれなくなった。

しかし、こんな事するからイジメられるんだな。

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下は、スラップ訴訟で生活が崩壊。止む無く廃業昼逃げを決意。そのつかの間。特別くたびれて休んで
いるのでは無く、いつでも逃げられるように、荷物をまとめているだけで、天気が良いので窓を開けて
ノンビリしている所。その姿勢は、幼児の頃と全く変わらず、首で全体重を支えているので、その
姿勢の方がくたびれるだろうと全員に忠告される姿勢だが、何故かこの姿勢になっちゃう。今でも
なっちゃう。学校でもほぼ同じ姿勢で首だけ机から出ていた。会社でもそうなっていた。

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こちらは最近。今でも変わらない。

理由は分からない。



【自閉症テレビ31】言われて出来ない自閉症


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