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お読み下さる皆様へ

元々は、都通研で行い好評を博したアクティヴィティでした。
例のスラップ訴訟によって中断を余儀なくされていたものを、ここに復活(復刻)します。

事実と異なる記述に気付かれた方は、安易に法的手段に頼らずコメント欄にてご連絡下さい。
論理の整合性さえあれば話せば必ず分かります。そしてすぐに対応致します。

※注 3度の裁判で些細な訂正削除を数多く求められましたが
   創価学会、創価学会グループに関する記述訂正削除一切求められていません。

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くせは 死んでも直らない [私たちの生育歴]

「ホラ、ちゃんとしなさいちゃんと」「早くしなさい、サッサとサッサと
「ホントにあんたはノロマなんだから」「ホラ、デレデレしないデレデレ

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四つの時の写真。 今でもこのおんなじ姿勢。 小さくて発育わるし。






とにかく、まとめると、動作がノロマで、いつもフニャフニャ、デレデレしていて、すぐ横になって
しまう。と言う事か。






小学1年の夏休み。初めての夏休み。昼寝をしなさいと言われても、横になって無理矢理寝たふりを
するだけで寝た事は無かった。(ハズ)






小学4年になってからは、社会性の広がりと言うか、周りの子供達が成長するのに対して社会的な遅れ
が出だしたのか、学校から帰るともの凄く眠くなった。






長いすで横になると「こんなとこで寝るんじゃ無い」と言う。






子供の身体はまだ柔らかく、畳の上で横になっても痛いだけで眠る事なんか出来ない。座布団を探し
出して、2枚程曳いて寝ていると、「そんな事しないで、寝るなら布団を出して寝なさい」と言う。






しょうが無いので布団を出して寝ると「こんな時間に寝る人間がドコに居る!さっさと起きなさい」
と言う。






結局寝る事は許されない。






寝る事が許されない上に説教だ。高校教師をやっている従兄弟が家に来た。

「チョット良一、トールがデレデレしてばっかりだから説教してちょうだい」
「何?お前デレデレしてるのか?お前のオヤジも寝てばかり。お前も気を付けろよ






この台詞は、良一だけでは無く、我が母の定番でもあり、何十回聞かされたか。






しかし、「気を付けろ」と言われても何に気を付けるんだ?






第一、「お前のオヤジ寝てばかり」って言ったって、あなたが説教している時点で、我が父は45才、
一部上場企業の常務取締役だ。






デレデレ寝てばかりで常務取締役。何が不足なんだ?どうしろって言うんだ?






言ってる意味がサッパリ分からない、常務じゃ不足だから社長になれってハッパを掛けてるのか?
どこまで欲深な女なんだ






それで、私は子供の前では父親の悪口を言った事が無い。とか、従兄弟の学歴の話ばかりしている
くせに、私は勉強をしなさいと言った事が無いとか、平気で言えるんだよな。






この人(母)は、「ウソつくんじゃ無い」が口癖なんだけど、実は本人が一番嘘つきなんだよな。






大阪の隣の家は、確か「徳川くん」の家で名前が「家康」くんだったと思うんだな。息子にどんな名前
を付けようが構わないが、ホントに良いとこの家みたいで、3時になるとお母さんがイチゴが乗った
ショートケーキをお盆に乗せて部屋に入って来る「いえやすさん。おこーちゃですよ」。






その姿を偶然見た私は本当にショックを受けた。
 
 1.学校が終わった後に、毎日部屋で勉強をしている事。
 2.おやつの時間があって、ケーキを子供に食べさせようとする事。
 3.そのお供がおコーチャだった事。

テレビで見たような話が現実に、目の前で起きている。それも当たり前の様に、当然の事として。






驚いた。本当に驚いた。その夜すぐに、母親姉妹に報告だ。母は「何気取ってるんだろうね」
大笑い。みんなも思いつく限り笑いものにした。






それから、2年。今度は北海道の札幌手稲だ。当時は未開発、今の道東と変わらない。そんな北海道は
自然が多く、学校も木造で本当に嬉しかった。小学3年10月おしゃべりの坂口君とすぐ仲良しになり、
坂口君が家に遊びに来た。






翌日、学校でチョットした騒ぎになった。

「山岸のカーちゃんすげーんだぜ。『トールさん。お紅茶ですよ』って、山岸の事『トールさん』って
呼ぶんだぜ」






「ウソだよ。ウソだよ。そんな風に呼ばれた事無いよ。なんかの間違いだよ」
「ホントだよだってオレ聞いたモン」
「ホントかよ。じゃあもう一度来てくれよ。その時オレも確認するから
「また行っていいの?」「いいよいいよ。すぐこいよ」






その日かどうかは忘れたが、坂口はすぐ来た。






「トールさん。今日もお友達?」坂口と直ぐ目が合った。






「うん、うん、分かった分かった。分かったからあっち行ってて」
「あら、そぉ。じゃあごゆっくり」






「なー言ったろー?」
「言った言った。いつもは言わないんだぜ。トールー!トールー!って呼び捨てだぜ」
「ホントかよ」
「じゃあ今度は、コーチャ持ってくるか見てようぜ」






「トールさん、おコーチャのむ?」
「うん。のむのむ。サンキュー」






北海道のど田舎の小さな商店、それも8人兄妹の雑多な育ちで、あんなに隣の徳川さんを笑いものに
したのに「トールさん、おコーチャですよ」とは本当に驚天動地だ。






早速、この話は姉二人の前で笑いの種だ。

「お母さん。カーコの友達来たときは止めてよね」
「お母さん、ヨーコの時も絶対やめてよ」

あれ程徳川さんを笑いものにしてたんだ。母は黙って聞くばかりだった。






おかげで、その後「トールさん」とは呼ばれなくなった。

しかし、こんな事するからイジメられるんだな。

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下は、スラップ訴訟で生活が崩壊。止む無く廃業昼逃げを決意。そのつかの間。特別くたびれて休んで
いるのでは無く、いつでも逃げられるように、荷物をまとめているだけで、天気が良いので窓を開けて
ノンビリしている所。その姿勢は、幼児の頃と全く変わらず、首で全体重を支えているので、その
姿勢の方がくたびれるだろうと全員に忠告される姿勢だが、何故かこの姿勢になっちゃう。今でも
なっちゃう。学校でもほぼ同じ姿勢で首だけ机から出ていた。会社でもそうなっていた。

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こちらは最近。今でも変わらない。

理由は分からない。






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うんこの鉄人 尻の穴 [私たちの生育歴]

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私は小学校入学してから高校一年になるまで、一度も学校でうんこをした事が無い。






横浜の小学校の記憶は無いが、大阪の香里園の小学校は鉄筋の新しい小学校でトイレも水洗だった。
確か、キチンとトイレットペーパーも完備していたと思う。






北海道の手稲中央小学校は、当時でも開校90年。戦前に建てられた、木造で立派なもの凄く趣のある
小学校だった。トイレはもちろん肥だめ式で、のぞき込めば水面が見える。小便とウンコだ。






大体、家の便所も使いたく無いぐらいだから、学校の便所はもっと使いたく無い。さらにも催した時、
尻を拭く紙を持っていなければ、悲惨な事になる。






クラスの忘れ物王だった私が、キチンとトイレ用の紙を持っている訳が無い。何度か、ヤバいと思い
ながらトイレを覗いた事はあったが、なんとか持ちこたえて、家に帰ってからウンコをした。






人間、口から入れるのと尻から出すのは最も原始的で基本的な事だ。家では食い物で苛められたが、
出口でも苛められた






「おかあさん、うんちしたくなった」






小学4年生がいちいち母親にウンコの許可を取るのが当たり前なのか、幼いのか分らない。便秘症の
子供が、食事の席に着いたとたん、生体反応として「出す」欲求が起きるのは自然の摂理だ。






「こんな時、席を立つもんじゃありません」






台所に置いたテーブルで母と姉二人。日常のそれも大した事無い普通の夕食なのに、席を立っては
いけないと、母は言い切る。






まるで、テレビドラマの武家の名家みたいな事を言う。跡取りが要る訳だな。ウンコを我慢しながら
メシを食うのは大変だ。しかし、そのうち感覚がマヒしてウンコをするのも忘れてしまう。
1週間は平気でウンコをしなかったな。






「トール君おなら臭い」今度は次女がクレームを付ける。
「トール。おならは我慢出来るんだから出すの我慢しなさい」






確かにおならは我慢出来る。どこかへ消えていく。それを続けていたら、もの凄く具合が悪くなった。






入り口のイジメに加えこの出口のイジメも加わった。






始まりは、小学4年になってからの事で、ウンコとおならのイジメは、時期が同じなのか数ヶ月ずれて
いるのかは記憶の手掛かりが無い。






数年内地に転勤していた我家は北海道に戻った。戻ったとたん母は盛んに親戚を招待した。






小学4年の冬、後に東大に行った従姉弟達をスキーに招待した。札幌オリンピック前に開発された
スキーリゾート手稲オリンピアは、家から30分でゲレンデだ。来たのは19才の女子短大生と17才の
高校生。東大に行ったのは17才の方ね。






入り口のイジメ出口のイジメで腹はパンパンだった。スキーへ行ける。それも新年になる前の
いい雪だ。私はスキーが大好きだ。近くても、バス代も掛かるしリフト代も掛かるからそんなに
しょっ中行ける訳じゃ無い。運動をすれば、すぐにでもウンコは出る。






楽しみにしていたが、
「トールは具合が悪いから行っちゃダメ」
「ドーして、ドーして」
「だってうんち出てないでしょう。うんち出たら行っていいよ」






夜、台所で19才の従姉妹と母が話し込んでいる所に起きて言った。「おかあさん。おなかが苦しい」






「じゃあ浣腸でも打とうか」母はタンスの薬箱から浣腸を探し出してまた椅子に座った。
母は足を組み椅子に座っている。隣には19才の女子大生の従姉妹だ。






足を組んだままの母が言う「ほら、そこでお尻出して、こっちに向けなさい」薄ら笑いの母の隣には、
驚いた顔をした従姉妹。言われるまま、その二人に向け四つん這いになってお尻を差し出した。






浣腸を挿してもらって寝間着をズリあげた。「少ししたら出るから」言われた通り便所へ行ったが、
出たのは液だけだった。






「どお?出た?」「うん。出たよ。あした行っていいね」






翌朝みんなで食事だ。たまりに溜まってるから食欲も無い。
「食欲無いの。じゃあ行けないね」
「行けるよ。運動したらすぐ出るから」
「じゃあ、茶碗一杯だけでも食べなさい。これ全部食べたら行って良いから」






言われて、無理矢理ゴハンをノドに押し込んだ。食べ終わった直後気持ちが悪くなり、洗面所へ行って
吐いた。追いかけてきた従姉妹が「大変、トールちゃん吐いちゃった」






「ホラ、ダメでしょ。迷惑掛けるから今日はトールは行っちゃダメ」
「大丈夫だよ。楽になったし運動すればすぐ出るから」
「ダメったらダメ。今日はカーコ達だけで行ってらっしゃい」






なんでこんな事するんだろうな。分かんないな。母はこんな凄いヒトなんだ。私の主治医は私の親から
直接生育歴を聞く事が出来なかった。私の書いている事もウソかもしれない。






しかし、従姉妹が未だ生きていたら証言を取れるだろう。






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ハレとケ [私たちの生育歴]

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まあとにかくウルサい母だったが、前にも書いた様に、長女には細心の注意を払い対応していた
みたいだったが、素の人格と言うモノはどこかで露わになる訳で、しわ寄せはすべて私に向いていた。






次女はネグレクトで居ないも同然。おまけ同然だが、殊更「お母さん、お母さん」と母の心配をする。
今でも続いているだろうな。






家族の中の心配事はすべて次女に相談だ。「カーコには余計な心配させたく無いから言うんじゃ無い」
と母は言い、結局次女はその話を私に話す事でガス抜きをする。






父が若く48才にして痴呆の兆候が見られたとき(今で言う家族性アルツハイマー、当時はアルツ
ハイマーと言う言葉すら無かった)私一人おかしい変だと訴えたが、母も、次女も一笑に付した。
しかしそのくせ「カーコには余計な事言うんじゃ無い」となった。






それが現実のモノとなった頃、次女は一人悶々と悩み、母に問いかけたが、「そんな事は無い。元々
変わった人だったし昔からそうだった」と一瞥だにされない。ところが嫁に出ていた長女を気遣い
「カーコには余計な事言うんじゃ無いよ」






母は「あんたは跡取りだから」も口癖だった。






「あんたは跡取りなんだからちゃんとしなさいちゃんと
「あんたは跡取りなんだから、石炭出しもちゃんとしなさい」
「あんだは跡取りなんだから、犬散歩行ってきなさい」
「あんたは跡取りなんだから松飾りサッサと付けなさい」
「あとはホラ、鏡餅飾って






ただのサラリーマン家庭で跡取るもんなんか無いじゃ無いか。何気取ってるんだ。 






この人は(母)晴れと褻(ケ)がハッキリしている人で、長女は晴れ、あとは






東大を出た従兄弟の結婚式。水道橋の学士会館に招待された。
選ばれたのは他家に嫁いだ長女夫妻とその娘、つまり孫、そして母。






もちろん跡取りの私も当然呼び出された






「トール、会社を休んで来てちょうだい。お父さん(この時もうボケてた)の世話はミヨコさんが
やってくれればいいから
パパさん結婚式に出てお酒が飲めないんじゃ気の毒だから車の運転させられないでしょ。」






その頃はまだ壊れる前だし、家族のマインドコントロールが解ける前だから、言われるままに夫婦とも
別々の会社に休暇願を出し、休暇をなんとか取って40km離れた実家に駆けつけた。






それから、今度は水道橋の学士会館まで往復120km、そして帰宅に40km。全行程200km






たしか、会社も休みがちでもう有給も無いから、休めば給料を減らされる。そして翌日は、疲れて頭が
痛くて結局欠勤






他家へ嫁いだ長女は我家を代表して学士会館のパーティへ、オレは皆さんの運転手だ。
跡取りだからね。オレは「跡取りの総領息子」だからね






まあ、こんなもんだ。こんな事もあった。






「トール、お母さん北海道へ一週間程用事があるから、あんた家へ来て犬の世話して
さすがにこの頃は、段々マインドコントロールが解けてきてた頃だから、
「カーコーちゃんすぐ近くなんだから頼んでみれば」
「カーコはお店があってそれどころじゃ無いでしょ!」
「オレもちょっと無理だなー。ペットホテルにでも頼めばいいんじゃ無い」
「ペットホテル!お金掛かるじゃ無い!」
「・・・」






言い忘れたがこの人は本当に吝嗇な人なんだ。自分が金を払うのが嫌なだけで、私が休んでその分
給料が減るのなんか全く頭に無い。大体もう30過ぎれば組織の中でそこそこの仕事もしているのだ。






一人人格障害が居れば、家族は本当に大変だ。






人格障害と言っても全てが事件を起こすわけじゃ無い。だた、一筋縄じゃ行かない人で、
トラブルの元となる人間性を持っているから、親に持つのも不幸だし、子供に持つのも不幸だし、
兄弟姉妹に持つのも大変だ。






書く事、エピソード枚挙にいとま無いが、あまり書くと夜うなされるのでこんなもんで。

私はこんな環境で育ち小学5年で自殺を試みたが果たせず、鬱を持ち続けそして壊れた。






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トロイのヘレン [私たちの生育歴]

「さっさとしなさいサッサとサッサと」いつもいつも毎日毎日、4才の頃から言われ続けていた。

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「ホントにあんたはのろまなんだから。トロイのヘレンだね」トロイのヘレンと言うのは、超古い
ベンハーか何か映画の登場人物だ。

トロイの木馬だったかな?






母の小言は食事中も絶える事無く続く。
「ホラ、いつまで納豆混ぜてるの。サッサと食べなさいサッサと」
「ホラ、そればっかり食べてないで、これも食べなさいこれも」
ホレッ!ハシが止まってるハシが。ぼーっとしない」
「いつまで食べてんの。サッサと食べ終わりなさい、サッサと」






一度なんか、いつも通り食事中に脅かされた拍子に、思いっきり軟口蓋をハシでつついて深さ5ミリ
ぐらい綺麗にへこんだ事があった。舌で触った感じでも穴があるし、指で触っても穴がある。鏡で
見ると何とか見える。






「お母さん見て見て、ほら、ハシでへこんじゃったんだよ。分かるでしょ?」
「なに?ドコ。全然見えない。何にも無いよ」
「嘘だよ。あるでしょ?見えない?」
「見えない見えない。何ともなってない」






このハシの先のへこみは成長と共に大分入り口だけ狭まってきたが、今でも開いてる。






食事中、私の監視をしているのが習い性になったみたいで、そのしつこさは大変だった。あまりに、
早く食えと言われ続けていたおかげで、中学になれば5分もあれば弁当を食えるしそれから今迄私より
早く食べる人に会った事が無い。






「食べ物で苛めちゃダメなんだよね。食い物の恨みは一生忘れないって言うからね」母の口癖だ。






母の独り言は、ハッキリ話すのが特徴だ。まるで自分の中の考えをそのまま実況中継している様な
感じだ。特に、私の事はどうも存在していない様な感じで、本当に色々な事をしゃべっていた。






「食べ物で苛めちゃダメなんだよね。食い物の恨みは一生忘れないって言うからね」
そう言いながら、私の事を食べ物で苛める






小学4年の時、私の食べられないモノだけの夕食が出た。大根の煮物と漬け物だけの食事だ。冬の大根、
特に北海道の雪の中で保存している大根は煮ると大根臭い。その臭いが子供の頃は耐えられなかったん
だ。さらに漬け物。漬け物も臭いがダメで食べられない。






次女が心配して「お母さん、今日トール君食べられるモノ無いよ。いいの?」「トールはいいの」






まあ、何か母の気に入らない事をしたんだろう。しかし、関連づけ、統合の弱い自閉症だから何が
何だかサッパリ分からない。






「お母さん、ふりかけかなんか無い?」「ナイッ!それ我慢して食べなさい!」
「だって大根嫌いだから汁しか飲めないよ」「だったら汁だけで食いなさい」
しょうが無く大根のカケラが口に入らない様に口をしぼめながら、ほんのチョット口を湿らせながら
ゴハンだけを食べた。寝ながら腹減ったなー。






何が原因で仕返しされてるのかサッパリ分から無いので、反省も出来ないし、「ヒトの気持ち」
も考え様が無い。只々母のトンデモエピソードが増えるだけだ。






中学になり、「トール弁当で嫌なモノ言いなさい止めるから」
「サンドイッチにミカンを挟まないで欲しいな。パンがグジュグジュになるんだ」






昼に弁当を見ると、ミカンのサンドイッチだ。不思議で、不思議で、結婚しても不思議だったが、
40才過ぎて「ああ、あれは嫌がらせだったのか」と気付いた。






知能の高い自閉症の子供にこの手の嫌がらせ、見せしめ仕返しは、自分がした事と仕返しが結び
付かないから全く効果が無く、教育的指導にもならず逆効果だ。

私に対する訴訟するぞ!の脅しと同じだ。






「ヒトの気持ちを考えよう」と言ったって、何が原因なのか考える糸口が無いんだから、
考え様が無いんだよね。


こうやって、日々エピソードが増える訳だ。






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