SSブログ
サンプル生育歴 ブログトップ
前の3件 | 次の3件

自閉症サラブレッドの母馬 [サンプル生育歴]

妻は社会人として商社勤務をしていたが、その一方自閉症の診断も受けている。診断を受けたのは
2000年だから、もう20年程前になる。

その知能の高い自閉症(アスペルガー症候群)の妻は、母親の熱心な療育によって治った訳では無く
逆に干渉少なく育ったので、私が「自閉症のサラブレッド」として珍重している。

uma0008-024.jpg

その貴重な「自閉症のサラブレッド」を、すくすくと育て上げたのが、妻の母だ。






軍国主義真っ盛りの暗黒の時代と言われるが、実際は皆のんびり自分の事だけを考え生きていた様で、
義母もモノには恵まれなくてものんびり育った様だ。






4才で母親に死に別れ、妹は預けられ、父はどこかに出稼ぎ。兄は左官奉公に出ていた。妹が小学校に
上がるのを機会に、小学4年の義母と二人、奉公先の親方が一緒に住む事を許してくれたので、
兄妹3人で暮らし始めた。






兄も年期が明け多少のお金が出来たので、尋常小学校を卒業する義母に嫁入りの金を寄越すと言う。

「あんちゃん。このお金であたし女学校へ行きたい






女学校へ行き、お調子者で明るく暮らした。神田の女学校を卒業すると全員無試験で第一生命に
入社できた。






当時は、市民の移動を少なくするのが国策だったからラッキーだったね。






戦後兄もお嫁さんを貰い子供も生まれだんだん居づらくなったそうだ。それで嫁入りする事になった。

嫁入り先は山の手。喜んで嫁入りする事にした。   






日本のほとんどの人が間違っているんだけど、関東平野の一番海寄りの平たい所、だから下町
神田から日本橋あたりはそんな所。徳川さんが江戸に幕府を開いたときに、職人や漁師を連れて来て、
住まわせたのが下町だ。神田迄は江戸の内と言う様に、神田からお茶の水本郷に掛けて急坂になって
いて、本郷村と呼ばれてたんだな。






だから、元本郷村から先を山の手と呼んでいたんだ。






神田の下町から本郷の先の山の手に嫁入りしたら驚いた。戦後とは言え、煮炊きは炭を熾して七輪。
風呂は薪。家に舅、姑、小姑まで二人。






とても同じ東京とは思えない生活にビックリ。毎日泣いていたと言う。

「おかあさん、すっかり暗くなっちゃったわよ」






その後の生活は本当に大変だったんだが、明るいお母さんは壊れる事無くたくましく生き抜く力
持っていた。






自閉症の特徴を色濃く示す義母だったが、20才まで自然に育てば少なくとも壊れないと言う例の
一つだ。






ヴィクトールのケースとも似ている。



【自閉症テレビ2】生きてて良かった自閉症


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

嫌われトールの二日目 [サンプル生育歴]

そう言えばこんな事を思い出した。

kodo21.jpg

「え?株売っちゃったよ」
「売った?出世にも関係するんだぞ」

あっけらかんとした母に比べ、低くしかし真剣な口調の父が対象的だった。






まあ、イジメ初めの小学4年生の年は、私が第一次反抗期に入ったせいか、はたまた人間として世界が
広がる年齢なのか、色々な事があった。






父の会社は急成長した様で、その創業メンバーなのか、それに近いメンバーなのか、若くして常務
取締役になった。常務と言っても雇われだから、それ程でも無い。






しかし、株式を一部上場するとなると話は別だ。未公開株を先ず社員に優先的に分配、その後上場
するんだから、これがこそが創業メンバーの醍醐味だ。






今のIT創業メンバーなら、その場でリタイアして気ままな生活も夢じゃ無い。そのまま六本木ヒルズ
に入居して会社に留まるのもそれもまた善し。

未公開株を持つと言う事はそれ位の意味を持つ。この年になると良く分かる。






それで、気軽に株を売った母と青ざめた父がどんな状況だったのかは知らない。公開直後に大量の株式
が市場に出たら、出何処を調査されただろうな。当時子どもだったからそれ以上の事は分からない。
母も何にも言わないし。






ある日「今日は下で寝なさい」母に命令され、父母の布団の隣に寝る事に。

寝ていると、応接間でなにやら険悪な言い合い。突然母が部屋から出てきて、私の布団にバッタと
覆い被さり、「アーーーン、アーーーーン」と大声で泣き出した。相当泣き続けていたが、ぴたっと
泣き止むとまた応接間へ戻って行った。

あれ程泣いたんだからどれ程布団が濡れたんだろうと手で一生懸命触ったが、ドコも濡れてなかった。






また、ある日「トールトール。これからお父さんに電話を掛けるから。ケーキ買って帰ってきてって言いなさい」






「もしもし、山岸ですけどお父さん居ますか。ちょっと変わって貰えますか。
オ・トーサン、(けーき)ケーキ(買って)カッテ(かえって)カエッテ(きてね)キテネ
(館の)ヤカタノ(けーきね)ケーキネ」ガチャン。






母にとって私は都合の良い道具だ。「トール、ソースが少し足りない。土橋さんに電話しとくから
ソース借りてきて」「ごめん下さい。お・ソース貸して貰えますか」






「まー、こんなコップいっぱい。貸してって言うんだからほんのチョットでいいのにねー」






食い物の貸し借りなんてのは、落語の長屋話の話であって、実際は気持ちのいい物じゃ無い。
実際に借りに行ってみると分かるだろう。歌手の牧村三枝子もその話をすると涙ぐんでた






ところが、中には母の様に真に受ける人間も居る。さらに母は常務兼工場長の妻。土橋さんは部下だ。
ソースを貸せと言われてどうすべきか相当悩んだろう。






悩んだ末、大きめのコップを並々とソースで満たし、ラップでフタをして渡したのだ。






いくら鈍感な母でも少しは気が付いたか、その後は借りに行かされなくなった。






「トール、お父さんとお母さんが別れたらどっちと来る?」
「お父さんに決まってるじゃん」
「だって、お父さんと行くとご飯食べられないよ
「お母さんと行ったらご飯買う金無いじゃん
「・・・」






「トール、お父さんとお母さんが別れたらどっちと来る?」
「お母さんと行く。お父さん何にも出来ないからね」
「あらそう。お母さんと来るの」






流石に自閉症でも、何か気付いたんだな。それとも食えない夕食のイジメを受けて身に染みたのかな。
この辺とイジメとの関連は全く覚えていない。それぞれのエピソードが存在するだけで、イジメと
リンクしてないのが自閉症らしさか。






正常な人なら、母親の顔色の変化と受けた苛めがリンクして社会性が増すんだろう。そこは自閉症。
いくら苛めてもリンクしないから、ドコまで苛めても分からない相手に苛めをしてるウチに、
苛めがメインになって、何を分からせる為なのか、分からなくなっちゃうんだろうね。






何を分からせるのか分からなければ、イジメを止めるきっかけが無くなる訳だ。すると気分次第で
苛め続ける事になるんだろう。






閉鎖された世界に居ると怖いね。

こんな毎日が続いて5年生の夏に死のうとしたんだけど死に損なっちゃったんだな。



【自閉症テレビ2】生きてて良かった


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

嫌われトールの一日 [サンプル生育歴]

IMGP3160.jpg

「ホントにアンタはなまっちろくてしょうが無いね、情けない。腕なんか棒みたい。三上君見て
ごらん。あんなに元気いっぱいで。アンタもチョットは見習いなさい



「おかあさん。我が輩養命酒飲むよ
「なんでそんなモン飲む必要があるの。そんなモン必要無いでしょ!」小学1年秋






またオニババが坂の上で腰に手を上て仁王立ちだ。
「トーールーー、今何時だとおもってるのー!ゴハンの前に帰ってきなさいって言ったでしょーーー」



遙か向こうなのに、でかい声で怒鳴ってる。



帰りたくないけど帰らなきゃいけない。ああ、だんだん近づいて来た。
「コラッ!トール!」「・・・」 小学2年の春から小学3年の秋まで何度も何度も






「トール。なんでこういう事をするの」両肩をガッチリつかまれ顔を近づけ何度も言う。
「グニャグニャしてないでキチッと立ちなさいキチッと」顔に息が掛かるのでなんとかよけようとする。
「どうしてキチッとしないの。顔こっちに向けて。お母さんの顔見なさい
息を止めて何とか顔を正面に向けたふりをする。
「もおしない?」「ぅ・」
「キチッと顔上げて、お母さんの目を見て返事をしなさい」「うん」顔に息が掛かるのが嫌で嫌で嫌で嫌で、
キチッとお母さんの目を見て答えろが一番こたえるよな。4才児の頃からずっと。






私小学2年、長女小6でカナリヤを買って貰う。多分性教育の為だね。

「お母さん。じゃあ我が輩は鳩飼っていい?」「いいよ。4年生になったらね」
「お母さん。4年生になったら鳩飼っていいんだよね」「そうだね」小3の春
「お母さん。4年生になったら鳩飼っていいんだよね」「5年になったらね」小3の3学期
「お母さん、5年生になったら鳩飼っていいんだよね」「・・・」小4の夏
「お母さん、5年生になったら鳩飼っていいんだよね」「・・・」小4の終わり
「お母さん、5年生になったから鳩飼っていいんだよね」「もうチョット待ちなさい」小5の5月

「お母さん、5年生だから鳩飼っていいんだよね」
「世話も出来ないくせにドーすんだ!ドコに鳩小屋建てるんだ!」






何もレース鳩に憧れて、レースさせようなんて言うんじゃ無い。小学2年の時は何も飼う事を許され
ないけど、小学4年になったら鳩を飼える程大人になる。飼っても良い権利を認められたかった
だけで、別にどうしても鳩が欲しい訳じゃ無い。






だから、何度も何度も何度も何度も、飼っても良い立場になったのか確認をしているのに、
突然キレられてもこっちが困る。






今、考えてみれば、子供相手の軽口がとんでもない事になって、毎日毎日毎日毎日プレッシャーを
掛けられるんだから、いい気はしないだろう。こっちは本物の自閉症だから忘れないしね。






だからと言うか、私自身全く前後の脈絡を全く思い出せないが、忘れない言われた事と言うのもある。






「ほんと、アンタはキーキー女みたいな甲高い声を出して気持ち悪い。男って言う物はペラペラ
しゃべるモンじゃ無い。男は黙ってサッポロビール。少しは黙ってなさい」小4






「お母さん、少年合唱団っておんなみたいで気持ち悪い声だよね」
どーして。綺麗な声でしょう。だれが気持ち悪いの」小4






「一銭も稼げないくせに何言ってんだ!」
母親の背に向かって何か話していたら突然大声で叫んだ。






小5の参観日にはこんな事があった。大阪とは違い参観する親はたった4人。授業の演目は
「お父さんと遊びたい」教師の問いかけに、予定調和の子供の答えが続く。

「お父さんとキャッチボールがしたいです」
「お父さんとトランプして遊びたいです」






嘘くさくって私が手を上げた。「はい」「やまぎしさん」






「別にお父さんに遊んで欲しくありません」
「ハイッ!ハイ!この子は知らないんです。この子の為にわざわざ東京から遊んでくれる人を呼んで 遊んで貰っている事を知らないんです!」

( おおっスゲースゲー。 山岸のかーちゃんだろー?ヤマギシヤマギシ。だれ?だれっ? )






「・・・・・はっ、・・・おかあさん。ここはチョッと。今は・・」「‥いいです」

私はうつむいて座るしか無かった。






それにしてもスゲー家だな。東京から遊んでくれる人を呼ぶなんてどんな家なんだ?そんな家
あるかよ。嘘なんだよ






その授業参観の日、暗くなっても母は帰って来ない。

「トール君何やったの?おかあさん一番最後に残されてるんだよ。だから遅いんだよ。なんか先生に
言われてるんだよ」カーコが脅す。






母が凄い勢いで歩いて帰ってきて、凄い勢いで玄関の扉を開けた。

「トール!何が言いたいの!言いたい事があったら言いなさい!」

凄い剣幕だ。目が本気でつり上がってる。それで思わず言いたい事を言ってしまった。






「おかあさん!くち臭い!」






あの剣幕が嘘の様に静まりかえり、それで何故か終わった。






実は、終わったようで終わりでは無かった。






毎日、何が楽しいのかと思う程の食い物のイジメに加え、今度は毎日、
「トール。口臭いよ。歯みがいたの、気をつけなさい」が追加された。






これも本当に熱心で、親子の縁を切るまで続いた。妻が良く知っている。もし親子の再会をしたら、
先ず言われる。「トール、口臭いよ」間違い無い。



【自閉症テレビ27】昔神経質今感覚過敏


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康
前の3件 | 次の3件 サンプル生育歴 ブログトップ

発達障害ランキング
にほんブログ村