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自閉症サラブレッドの母馬 [サンプル生育歴]

妻は社会人として商社勤務をしていたが、その一方自閉症の診断も受けている。診断を受けたのは
2000年だから、もう20年程前になる。

その知能の高い自閉症(アスペルガー症候群)の妻は、母親の熱心な療育によって治った訳では無く
逆に干渉少なく育ったので、私が「自閉症のサラブレッド」として珍重している。

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その貴重な「自閉症のサラブレッド」を、すくすくと育て上げたのが、妻の母だ。






軍国主義真っ盛りの暗黒の時代と言われるが、実際は皆のんびり自分の事だけを考え生きていた様で、
義母もモノには恵まれなくてものんびり育った様だ。






4才で母親に死に別れ、妹は預けられ、父はどこかに出稼ぎ。兄は左官奉公に出ていた。妹が小学校に
上がるのを機会に、小学4年の義母と二人、奉公先の親方が一緒に住む事を許してくれたので、
兄妹3人で暮らし始めた。






兄も年期が明け多少のお金が出来たので、尋常小学校を卒業する義母に嫁入りの金を寄越すと言う。

「あんちゃん。このお金であたし女学校へ行きたい






女学校へ行き、お調子者で明るく暮らした。神田の女学校を卒業すると全員無試験で第一生命に
入社できた。






当時は、市民の移動を少なくするのが国策だったからラッキーだったね。






戦後兄もお嫁さんを貰い子供も生まれだんだん居づらくなったそうだ。それで嫁入りする事になった。

嫁入り先は山の手。喜んで嫁入りする事にした。   






日本のほとんどの人が間違っているんだけど、関東平野の一番海寄りの平たい所、だから下町
神田から日本橋あたりはそんな所。徳川さんが江戸に幕府を開いたときに、職人や漁師を連れて来て、
住まわせたのが下町だ。神田迄は江戸の内と言う様に、神田からお茶の水本郷に掛けて急坂になって
いて、本郷村と呼ばれてたんだな。






だから、元本郷村から先を山の手と呼んでいたんだ。






神田の下町から本郷の先の山の手に嫁入りしたら驚いた。戦後とは言え、煮炊きは炭を熾して七輪。
風呂は薪。家に舅、姑、小姑まで二人。






とても同じ東京とは思えない生活にビックリ。毎日泣いていたと言う。

「おかあさん、すっかり暗くなっちゃったわよ」






その後の生活は本当に大変だったんだが、明るいお母さんは壊れる事無くたくましく生き抜く力
持っていた。






自閉症の特徴を色濃く示す義母だったが、20才まで自然に育てば少なくとも壊れないと言う例の
一つだ。






ヴィクトールのケースとも似ている。



【自閉症テレビ2】生きてて良かった自閉症


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