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一卵性親子 [サンプル生育歴]

長女と結婚した義兄が「カーコちゃんとお義母さんは一卵性親子だね」良くそう言っていたが、
当時の私にはサッパリ意味が分からなかった。






それから30年以上経った今なら色々思い当たる節だらけだ。

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昨日書き忘れたが、母は戦後勤めていた教員を辞め結婚し専業主婦になっていた。長女を溺愛する母は、
とにかく長女は特別だった。何故そこまで長女に肩入れするのかは、母なりの事情がある様だが、
それは割愛。






「カーコは凄いね-、カーコは偉いねー」いつもいつも母と子供三人が集まるとこんな話だ。






当時、高度経済成長直前で休日は日曜だけ。サラリーマンの父は忙しく働き、家庭と言えば子供三人と
母親だけの閉ざされた世界だ。






「カーコは凄いねー」母は長女の教育には慎重で頭ごなしに叱るのは我慢していた様だ。その証拠に、
長女だけがハシの使い方をキチンと躾けられていない。






その反省か、タガが外れたか、衝動性の固まりが本性を現したのか、次女と、私に対しては容赦なしの
躾けと脅しと恫喝だ。






幼い子供に対しては、脅せば脅す程効果がある。






ひなまつりには、みんなでひな人形の飾り付けだ。長女はすぐ居なくなり、小学3年の私が、ひな壇を
組み立てあげ、次女と二人で緋毛氈を曳き、ひな人形を並べ手に手に道具を持たせ飾り付ける。
時々母が見に来て、右だ左だと指示して終わり。






飾り付けはまだいい。3日が過ぎれば片付けだ。「片付けが遅れれば嫁入りが遅れる」と言われても、
長女は全く気にも掛けない。結局次女と私が片付け役だ。これは次女が反抗期に入った頃に立ち消えに
なった習慣だ。






日曜の夕方は父も交え、一家が揃って夕食だ。
「カーコは過保護だ」父が言うと、私がカーコの代わりにすぐ否定する
「違うよ、違うよ、カーコちゃんは過保護じゃ無いよ。過保護は我が輩だよ。」
「我が輩が過保護なんだよ」家族の話は必ずそこで終わる。

ちなみに「我が輩」とは、私の自分の呼び名だ。






当時、過保護の意味を取り違えていたのだが、確かに長女は過保護で私には過干渉、次女はネグレクト
だった。






溺愛する長女に対して、私は男と言う事で父親と共通項が持てた。しかし、間に入った次女はまさしく
ネグレクトの状態。






くせっ毛なのに、手の込んだ三つ編みで、写真の真ん中にいる長女。おかっぱで放りっぱなしの髪が
爆発している次女。こんな所でも、そっぽを向いている自閉症の私。






この何気ない一枚の写真が家族の中での状態を示している。



【自閉症テレビ1】自閉症の天国

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ご立派な家系 [サンプル生育歴]

2022年6月2日更新

私の母は戦前に女学校を卒業し、代用教員になりそのまま戦後も教員を務めた。

叔父二人も北海道教育大を出て教員になり、北大、小樽商大を出た叔父は銀行とメーカー勤務。
弘前大を出た従兄弟も教師、室蘭工大を出た従兄弟は函館ドックが不況で教師に転身、
北海道教育大を出た従兄弟も教員だ。北大を出てNECに勤めた従兄弟は北大に戻り医者に転身、
北大を落ちた従兄弟は浪人して東大に入り千葉大の大学教授かな?

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とにかく、母方の男はほとんどが国立大学を出て教師だし、そのつれ合いも教師だ。その中で国立大学
へ行けなかったのはオレぐらいなんだよ。(本当は他に二人ほど居るんだけど数に入れて貰えない)






私は、幼稚園に1年だけ行った。その頃の居住地は横浜南区。小学校の入学前に、知能テストを
受けたら幼稚園始まって以来の成績だったそうだ。






だったそうだと言うのは、たった一度友達のお母さんと「トールちゃん凄いわねーと」話しているのを
聞いただけで、それを確認しようとしてもその後一切教えて貰えなかった。






母は「いい気になる」が口癖だったから、この事も私に教えないのだろう。






私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






自閉症である妻や私や他の自閉症者は、幼児の頃からの記憶、エピソードを異様な程豊富に記憶して
いる事が共通している。皆、満4才直前の、3才時点の記憶から始まっている。






きっと脳組織の成長具合(脳構造)と関係しているのだろう。






前にも書いたが、私の母や義父(妻の父)は人格障害だと考えている。かなり相当変わっているのだ。
2024年5月8日追記:つまりサイコパス。





今程自閉症の事を詳しく知らなかった頃は、妻も、私もそれぞれが、親が自閉症なのでこんなに非道い
育てられ方をしたのだろうか、と考えた事もある。






私達と根本的に違うのが、幼児、児童その後の具体的「エピソード」を覚えていないと言う所が
決定的な違いだった。
(追記:エピソードを憶えていないと言う事は、概念化し楽しい事悲しい事とひとかたまりに出来ると言う事。)






私達にはもう一つ「エコラリア」と言う特性がある。妻は義父そっくりな口調態度、私も母そっくりな
口調態度を持つから、その部分に目を取られてしまうと、義父や母も自閉症か?と言うロジックに
入り込んでしまう。






しかし、幼い頃の「エピソードの具体的な話が無い」と言う事を思い起こすと、
やはり義父と母は自閉症では無く、人格障害と考えた方が自然だと言う事が納得出来る。






話はそれたが。私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






数々の記憶を集め、それを今の65才(当時)の私が見て初めて分かる事が沢山ある。






さらに、家族と言う固まりの中で生活していると、私と母親の関係は直接的な関係だから知る事も、
その他の家族間の関係は毎日一緒に生活しているが故に、実は知らない事の方が多い。






この、実は他の家族の事は全く分かっていない、と言う認識が出来て初めて色々な事が分かってくる。
これを一言で言うと「家族の闇」と言われるモノだな。






長女と結婚した義兄が「カーコちゃんとお義母さんは一卵性親子だね」良くそう言っていたが、
当時の私にはサッパリ意味が分からなかった。



【自閉症テレビ18】自閉症と自閉症の会話


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ハッキリ言いなさい [サンプル生育歴]

雪が降る中、外に出たいとも言わずずっと大人しくしていた犬。






この犬は、近所のヤンキー家族が夜逃げをした時捨てていった犬。夜逃げした後、10日以上泣きっ
ぱなしに気付いて、回収保護した犬だ。

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2年以上経ちようやく我が家に馴れたのだが、まだ妙に遠慮する所がある。いつもは外に出せと吠える
のに、吠えるのを我慢しているうちにウンチをしてしまった。






滅多にする事では無いので、我が家ではしくじっても怒らない。犬は震え申し訳なさそうにしているが、
次は上手く出来るだろう。






辰吉丈一郎は5才になるまで話さなかったと言っていた。私はそこまででは無いが、言葉の遅い子供で
2才になるまで、歩きもしなかったし、話もしなかったと言う。






言語性に優位な女子に比べ遅れがある男子なので、親も心配もしなかった様だ。それでも、
多弁では無く無口だったので「ハッキリ言いなさい」とよく言われていた。






転校したのがきっかけなのか、それとも成長したのか、小学4年から非常によくしゃべる様になった。
隣の席の坂口君がメチャクチャおしゃべりで、授業中片時も黙っていない。私も負けずにおしゃべり
だった。






家でも「ハッキリ言いなさい」が今度は「うるさい!しゃべるな!」に変わった。
「いいから、黙ってろ!」とも言われた。






それと並行して母親には色々いじめられた。それが、イジメだと分かったのは、22才の頃だったかな。
結婚してから鬱病になり、それから回復するために、一体何があったか思い起こしたら、非道い
イジメの毎日だったことが分かった。






一見「正常な人」として社会で暮らし働いてきた。「しゃべる」と言う行動行為は、結構ハードルが
高いみたいで、「しゃべる」のままなら、しゃべり続けるが、一旦「黙れ」と言われると、なかなか
次の「しゃべる」のトリガー(引き金)が掛からず、黙りこくってしまう。






鬱病だと言ってしまえば簡単なのだろうが、「しゃべる」と言う行為自体が無理矢理作ったモノの様な
気がしてならない。






無理をして「しゃべる」行為を行っているのに、それを「黙れ」で否定、停止させられると、次の
「しゃべる」はなかなか起動しない。






家の中で吠えずに静かにしていた犬が、吠えて知らせる事が間に合わずに、吠える前にしくじって
しまった姿を見て、「同じなんじゃなかろうか」と考えた。






あなたのお子さんに思い当たる節はありませんか?

「したくなったら言いなさい!」と叱りますか。言える様になるまで気長に待てますか。



【自閉症テレビ29】サンタクロースと自閉症


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