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ご立派な家系 [サンプル生育歴]

2022年6月2日更新

私の母は戦前に女学校を卒業し、代用教員になりそのまま戦後も教員を務めた。

叔父二人も北海道教育大を出て教員になり、北大、小樽商大を出た叔父は銀行とメーカー勤務。
弘前大を出た従兄弟も教師、室蘭工大を出た従兄弟は函館ドックが不況で教師に転身、
北海道教育大を出た従兄弟も教員だ。北大を出てNECに勤めた従兄弟は北大に戻り医者に転身、
北大を落ちた従兄弟は浪人して東大に入り千葉大の大学教授かな?

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とにかく、母方の男はほとんどが国立大学を出て教師だし、そのつれ合いも教師だ。その中で国立大学
へ行けなかったのはオレぐらいなんだよ。(本当は他に二人ほど居るんだけど数に入れて貰えない)






私は、幼稚園に1年だけ行った。その頃の居住地は横浜南区。小学校の入学前に、知能テストを
受けたら幼稚園始まって以来の成績だったそうだ。






だったそうだと言うのは、たった一度友達のお母さんと「トールちゃん凄いわねーと」話しているのを
聞いただけで、それを確認しようとしてもその後一切教えて貰えなかった。






母は「いい気になる」が口癖だったから、この事も私に教えないのだろう。






私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






自閉症である妻や私や他の自閉症者は、幼児の頃からの記憶、エピソードを異様な程豊富に記憶して
いる事が共通している。皆、満4才直前の、3才時点の記憶から始まっている。






きっと脳組織の成長具合(脳構造)と関係しているのだろう。






前にも書いたが、私の母や義父(妻の父)は人格障害だと考えている。かなり相当変わっているのだ。






今程自閉症の事を詳しく知らなかった頃は、妻も、私もそれぞれが、親が自閉症なのでこんなに非道い
育てられ方をしたのだろうか、と考えた事もある。






私達と根本的に違うのが、幼児、児童その後の具体的「エピソード」を覚えていないと言う所が
決定的な違いだった。
(追記:エピソードを憶えていないと言う事は、概念化し楽しい事悲しい事とひとかたまりに出来ると言う事。)






私達にはもう一つ「エコラリア」と言う特性がある。妻は義父そっくりな口調態度、私も母そっくりな
口調態度を持つから、その部分に目を取られてしまうと、義父や母も自閉症か?と言うロジックに
入り込んでしまう。






しかし、幼い頃の「エピソードの具体的な話が無い」と言う事を思い起こすと、
やはり義父と母は自閉症では無く、人格障害と考えた方が自然だと言う事が納得出来る。






話はそれたが。私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






数々の記憶を集め、それを今の65才の私が見て初めて分かる事が沢山ある。






さらに、家族と言う固まりの中で生活していると、私と母親の関係は直接的な関係だから知る事も、
その他の家族間の関係は毎日一緒に生活しているが故に、実は知らない事の方が多い。






この、実は他の家族の事は全く分かっていない、と言う認識が出来て初めて色々な事が分かってくる。
これを一言で言うと「家族の闇」と言われるモノだな。






長女と結婚した義兄が「カーコちゃんとお義母さんは一卵性親子だね」良くそう言っていたが、
当時の私にはサッパリ意味が分からなかった。



【自閉症テレビ18】自閉症と自閉症の会話


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