改訂新幹線殺傷小島君5 [新幹線殺傷事件]
文春オンラインの取材記事、さらに父親の言い分、その態度を知ると、小島一朗君が自分の思い描いた事を
実行した原因の一端を垣間見る事が出来た。
それは、私自身の子供時代の事を当てはめて考えても、実際に驚くほど残酷な行為に走った酒鬼薔薇聖斗の
事を思い出すのにも十分だった。
世の中偉い人がいる。インベカオリ★さんだ。彼女は小島一朗君に接見を繰り返し、
手記を得るまでに至った。
そして、余計な「思い」にこだわる事無く事実を淡々と記事にしてくれた。
それに依ると、私が想像した程度の生易しい成育歴などでは無く、
小島一朗君の一部の生育歴は自閉症の私が想像するモノとは全く違う。ADHDの衝動性と多動を
併せ持つ子供が強いられた生活だ。それは自らが言い出した結果かもしれない。
インベさんの
手記だ。
3才の記憶の目覚め、
文章から垣間見られる小島一朗君の知能の高さからも、よく今まで我慢に我慢を続けてきたと感心する。
鈴木一朗君の話はインベさんの記事に集約されている。一方問診だけでいとも簡単に
アスペルガー症候群と診断した医者の話や、その後入院までしたADHDの専門病院の医師。
友人の話、担任の偽らざる話。周辺から幾らでも取材出来そうなモノだ。
何故誰も取材しないのだろう。私は犠牲者の為にも真実を暴き出して貰いたい。
正常な人は自我が確立しているから、自分の為なら幾らでも残酷になれる、本当に残酷なモノなんだ。
【自閉症テレビ24】社会性豊かなASD
改訂新幹線殺傷小島君6 [新幹線殺傷事件]
2022年7月3日更新
小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)の続報がデイリー新潮からインベカオリ★さんの手で出された。
編集方針に沿ったのか、前回淡々とした事実文に徹したリポートから一転インベカオリ★さんの感想と
いうか、解釈を含めた記事になり、少しばかり内容が雑然としてしまった。
自閉症が頭の中で考えている事とその表現は、正常な人とは異なり、だからこそ知能が高くても
「自閉症という障害者」なのだ。
その謎には、多数の精神科医がトライし無駄に終わっていたのだが、人工知能の考え方、つまり、
コンピューター上に人間の知能を作り出せるかという考え方を追求するうちに、人間の前段階。
つまり、「自我(マインド)」を獲得する以前までは可能である事が論理的に構築され、その
「自我を持たない人間の前段階の人間」と
知能の高い自閉症者との共通性に気付いた研究者たちが、相互の理論の不備を検証し合い、
齟齬が無い事が確認され、初めて自閉症が定義され、WHOでも認められたのが「自閉症スペクトル」なんだ。
だから、自閉症の事を、自閉症者が言う事を、正常な人と同じような感覚で捉えようとすると、理解
できないんだね。
注:鈴木一朗君は自閉症では無い。ADHD情緒・行動障害と言う発達障害の一種だ。
刑務所に収監されてからも、精密な診断テストが何度か行われ全てADHDの診断が導き出された。
その文章、ことばを、一見正常な人と同じ使い方をするから、誰でも理解出来そうに錯覚するが、
それには自閉症に対する造詣が深くなければ、理解するまで行かない。
しかし、インベカオリ★さんは、小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)の信頼を得手記を得る事が出来る
立場になった。
その特典を大いに活用し、まず事実をフィルターを掛けずに報道する事に徹して貰いたい。
そして貴重な続報が続くことを望んでいる。
小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)と彼の犠牲になった人の為に。
この文章は鈴木一朗君がアスペルガー症候群であると言う前提で書かれたモノですが、
追記にある様に鈴木一朗君はADHDでした。
一部内容は、自閉症の解説内容としては誤りでは無いのでそのまま残しました。
【自閉症テレビ14】感覚過敏?ADHD?
改訂新幹線殺傷小島君8 [新幹線殺傷事件]
小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)の続報がデイリー新潮からインベカオリ★さんの手で出された。
始めにデイリー新潮から出た記事では滔々と警官と議論している。
注記:鈴木一朗君はASDアスペルガー症候群では無い。事件の前にもADHD専門の病院に入院し、
コンサータまで処方されている。収監後も数度精密な診断テストが行われ、その都度ADHDの診断を
得ている。ネットではADHDとASDがあたかも同じだと言う様なフェイクニュースが流されているが、
ADHDとASDは全く別の障害になる。
自閉症とは言葉を持たない障害なのでは?話すとしても「あゎゎゎ・あゎゎゎ・・」と
繰り返すだけで満足にディスカッション出来ない障害なのでは?
未だに少数ながらそう考えている人も居るかもしれない。
しかし、自閉症先進国スウェーデンで明確な診断を受けたトゥンベリさんがダボス会議等に
招かれて滔々と演説をしている姿を思い出せば、その話が作り話のデマという事がより分かりやすいだろう。
ところが、身近に本当ホンモノのアスペルガー症候群(言葉を話す知能の高い自閉症)例えば、私や妻
の様な存在を目の前で見て、一緒に話し、知り合いとして交流していても、いざ「実は私たちは二人とも
知能の高い自閉症です」とカミングアウトすると、
突然、彼らは、私たち夫婦を「知恵遅れの夫婦」としてのリアクションしか取れなくなる。
私たち夫婦は自閉症ではあっても「知恵遅れ」では無い。確かに知能がムダに高く、日常でもまるで
「知恵遅れ」じゃ無いかと自分自身でも思うぐらい馬鹿げた事を繰り返し、笑いに事欠かないが、
知的なレベルで言うと知識だけは異様に多い。
その私たちに対して、「市役所に行けば手続き出来るよ」とか、「本当に病気の事知ってるの?」とか
言われ出しても、何とも苦笑するしか無い。
「困った事言ってね」と言われても「そう言うアナタに困ってます」とは
口が裂けても言えないし本当に困る。
頭の中だけは、知識情報が詰まり、しかし日常生活では、なんとも間抜けなドジばかり。頭の中と表向きの
ドジさ加減のギャップが、正常な人たちの判断を狂わせるのだろうか。
それとも、私たちの存在こそが、正常な人たちの判断を狂わせるのだろうか。
【自閉症テレビ18】自閉症と自閉症の会話
改訂新幹線殺傷小島君9 [新幹線殺傷事件]
小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)の続報がデイリー新潮からインベカオリ★さんの手で出された。
始めにデイリー新潮から出た記事。小島一朗君は滔々と警官と議論している。
グレタ・トゥンベリさんは滔々と演説をし、小島一朗(旧姓鈴木一朗)君が警官と丁々発止やりあう。
そして私は★インベカオリさんの記事が煩雑になったと言った。これについて解説
しなければいけない。
「私たち」、ここで言う「私たち」とは、私たち自閉症スペクトルの人間と、同じ人間である
正常な人たち両方を含む「すべての人間」の事であるが、「私たち」は共に言葉を使い、
様々な事を理解しあっている。
その構造の基本は
私が考えた事を言葉で伝える → 相手がそれを理解する(理解したと思い込める)
これでようやく関係が成立する。
正常な人であれば、言葉を発した側が相手が理解したと思い込めれば、相手が十分納得したと思い込め
さえすればそれで満足して関係が成立する。
言われた側も、相手に理解したと思い込ませれば、それで満足して関係が成立する。
だから、
足し算をすれば数が増えるんだよ → 足し算をすれば数が増えるんだ
と概念と概念のやり取りでも、同じ概念の土場で理解したと二人ともに錯覚出来る。
これが、正常な人のコミュニケーションで、多少の差違もなんとか吸収してしまう。
ところが、自閉症・自閉症スペクトル・アスペルガー症候群は概念を理解出来ない。
上記のやり取りで、自分以外の人たちは全員納得して理解出来ているのに、ただ一人
「足し算って言ったって負の足し算だったらどうすんだよ」
「ゼロだったりマイナスだったりしたらどうすんだよ」
「なんで疑問に思わないんだよ」
「どうして、こんな分かり切った間違いを誰もとがめないんだよ」
「どうしてみんな、分かってもいないのに分かったフリするんだよ」
「お前らテストの時絶対間違うじゃん」
いち・たす・いち・は・に
こんな、まだ幼い幼児の頃から、概念が理解出来ない事による正常な人との齟齬は、すでに始まって
いるのだ。
このレベルで、もう言葉に対する捉え方が正常な人と、自閉症スペクトルとでは違ってくる。
記憶が定まる4才の頃から、毎日自分自身(私)が理解した言葉の意味と、周りの正常な人たちの
言葉の意味が毎回違う毎日。
その違いを埋めようと、なんとか正しい言葉の使い方、正しい単語の意味を考えながら、使い方を工夫
しながら話してもやはり正常な人に、自分の話したい事が通じない。
ただ、誤解して貰いたくないのは、自閉症スペクトルの言葉の使い方が
正しいと言っている訳では無い。
小島一朗(旧姓鈴木一朗)君は、彼なりの解釈のことばの使い方をしているだけで、
日本語としての正式な使い方に則っているという事では無い。彼が、何度も何度もそれこそ生まれてから
ずっと考え抜いた言葉の使い方で書いているという事。
追記:鈴木一朗君はADHDであり、さらに知能指数は130を超えるそうだ。その衝動性と知能の高さが
コミュニケーションを無視した独特の言い回しを行わせるのかもしれない。彼は自閉症では無い。
私も、私なりに考え考え考え抜いて正しいと判断して書いているという事。
逆に言えば、正常な人、例えばローナ・ウイングから私たちの事を見れば、
「彼らは、彼ら独特のことば遣いで、彼らにしか通じない言い方をします」
と言われるのだ。
真意は、そう簡単に一朝一夕には解読、解明、理解出来ないという事だ。
【自閉症テレビ33】学校でも言われて出来ない
改訂新幹線殺傷小島君10 [新幹線殺傷事件]
小島一朗君(旧姓 鈴木一朗君)の続報がデイリー新潮からインベカオリ★さんの手で出された。
始めにデイリー新潮から出た記事では滔々と警官と議論している。
グレタ・トゥンベリさんは滔々と演説をし小島一朗(旧姓鈴木一朗)君が警官と丁々発止やりあう。
★インベカオリさんが、今後小島一朗(旧姓鈴木一朗)君との交流を続けその手記出版に関与する事が
出来るなら、
ことばを発信者側に立って解説された書物は無いからだ。
私が社会に居て正常な人たちと交流していた頃は、概念を理解しない私に対して、なんとか概念を持つ
正常な人たちが折り合ってくれていた。
では、概念を理解しない私と、概念を理解しない妻との二人きりの生活ではどうか。
概念を理解せず、一つの意味しか持たず相手に伝えようとする私と、同じく同じ言葉に一つの意味しか
持たない妻のやり取りは、話が通じない毎日だ。
簡単に言えば主語をすべて「あれ」に置き換えてみればイイ。
お互い話していても、全ての主語を「これ」に変えてしまえば通じるものも通じない。
その時の、「あれ」とは、たった今まで話していたすっかり傷んでしまったシャツの事であったり、
「これ」とは、話しながら偶然手に取ったスプーンの事であったりする。
一方は、話の主題が「傷んだシャツ」だったから、その流れで「捨てて」と頼む。
一方は、その話はとっくに終わり、突然手に取ったスプーンを「捨てろ」と言われ戸惑う。
★「えーどうして?なんで」
〇「捨てようって言ったのそっちじゃん」
★「捨てようなんて言ってないよ」
〇「今言ったじゃない」
★「なんで捨てなきゃいけないの?」
〇「だって、捨てようって」
★「・・・・・・」
★「ああ。さっきのシャツの話ね」
〇「今。シャツの話してたじゃん」
★「今、突然スプーン捨てろって言いだしたからビックリしちゃった」
〇「?・・・そうじゃない!シャツシャツ!」
★「ああ良かった。もう少しで捨てる所だった」
★「これで捨てたら、また何言われるか分かんないよね」
二人共に正確に伝えたい気持ちはあるが、なぜか通じていない事が多いので毎日がお笑いだ。
でも、お互い通じない事が前提で、何とか通じるまで話せるから正常な人と話すより
余程楽だし、仮に通じなかったとしても五十年後には通じているかもしれない。
生きてればね。
【自閉症テレビ18】自閉症と自閉症の会話
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