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ハッキリ言いなさい [私たちの生育歴]

雪が降る中、外に出たいとも言わずずっと大人しくしていた犬。






この犬は、近所のヤンキー家族が夜逃げをした時捨てていった犬。夜逃げした後、10日以上泣きっ
ぱなしに気付いて、回収保護した犬だ。

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2年以上経ちようやく我が家に馴れたのだが、まだ妙に遠慮する所がある。いつもは外に出せと吠える
のに、吠えるのを我慢しているうちにウンチをしてしまった。






滅多にする事では無いので、我が家ではしくじっても怒らない。犬は震え申し訳なさそうにしているが、
次は上手く出来るだろう。






辰吉丈一郎は5才になるまで話さなかったと言っていた。私はそこまででは無いが、言葉の遅い子供で
2才になるまで、歩きもしなかったし、話もしなかったと言う。






言語性に優位な女子に比べ遅れがある男子なので、親も心配もしなかった様だ。それでも、
多弁では無く無口だったので「ハッキリ言いなさい」とよく言われていた。






転校したのがきっかけなのか、それとも成長したのか、小学4年から非常によくしゃべる様になった。
隣の席の坂口君がメチャクチャおしゃべりで、授業中片時も黙っていない。私も負けずにおしゃべり
だった。






家でも「ハッキリ言いなさい」が今度は「うるさい!しゃべるな!」に変わった。
「いいから、黙ってろ!」とも言われた。






それと並行して母親には色々いじめられた。それが、イジメだと分かったのは、22才の頃だったかな。
結婚してから鬱病になり、それから回復するために、一体何があったか思い起こしたら、非道い
イジメの毎日だったことが分かった。






一見「正常な人」として社会で暮らし働いてきた。「しゃべる」と言う行動行為は、結構ハードルが
高いみたいで、「しゃべる」のままなら、しゃべり続けるが、一旦「黙れ」と言われると、なかなか
次の「しゃべる」のトリガー(引き金)が掛からず、黙りこくってしまう。






鬱病だと言ってしまえば簡単なのだろうが、「しゃべる」と言う行為自体が無理矢理作ったモノの様な
気がしてならない。






無理をして「しゃべる」行為を行っているのに、それを「黙れ」で否定、停止させられると、次の
「しゃべる」はなかなか起動しない。






家の中で吠えずに静かにしていた犬が、吠えて知らせる事が間に合わずに、吠える前にしくじって
しまった姿を見て、「同じなんじゃなかろうか」と考えた。






あなたのお子さんに思い当たる節はありませんか?

「したくなったら言いなさい!」と叱りますか。言える様になるまで気長に待てますか。






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ご立派な家系 [私たちの生育歴]

2022年6月2日更新

私の母は戦前に女学校を卒業し、代用教員になりそのまま戦後も教員を務めた。

叔父二人も北海道教育大を出て教員になり、北大、小樽商大を出た叔父は銀行とメーカー勤務。
弘前大を出た従兄弟も教師、室蘭工大を出た従兄弟は函館ドックが不況で教師に転身、
北海道教育大を出た従兄弟も教員だ。北大を出てNECに勤めた従兄弟は北大に戻り医者に転身、
北大を落ちた従兄弟は浪人して東大に入り千葉大の大学教授かな?

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とにかく、母方の男はほとんどが国立大学を出て教師だし、そのつれ合いも教師だ。その中で国立大学
へ行けなかったのはオレぐらいなんだよ。(本当は他に二人ほど居るんだけど数に入れて貰えない)






私は、幼稚園に1年だけ行った。その頃の居住地は横浜南区。小学校の入学前に、知能テストを
受けたら幼稚園始まって以来の成績だったそうだ。






だったそうだと言うのは、たった一度友達のお母さんと「トールちゃん凄いわねーと」話しているのを
聞いただけで、それを確認しようとしてもその後一切教えて貰えなかった。






母は「いい気になる」が口癖だったから、この事も私に教えないのだろう。






私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






自閉症である妻や私や他の自閉症者は、幼児の頃からの記憶、エピソードを異様な程豊富に記憶して
いる事が共通している。皆、満4才直前の、3才時点の記憶から始まっている。






きっと脳組織の成長具合(脳構造)と関係しているのだろう。






前にも書いたが、私の母や義父(妻の父)は人格障害だと考えている。かなり相当変わっているのだ。






今程自閉症の事を詳しく知らなかった頃は、妻も、私もそれぞれが、親が自閉症なのでこんなに非道い
育てられ方をしたのだろうか、と考えた事もある。






私達と根本的に違うのが、幼児、児童その後の具体的「エピソード」を覚えていないと言う所が
決定的な違いだった。
(追記:エピソードを憶えていないと言う事は、概念化し楽しい事悲しい事とひとかたまりに出来ると言う事。)






私達にはもう一つ「エコラリア」と言う特性がある。妻は義父そっくりな口調態度、私も母そっくりな
口調態度を持つから、その部分に目を取られてしまうと、義父や母も自閉症か?と言うロジックに
入り込んでしまう。






しかし、幼い頃の「エピソードの具体的な話が無い」と言う事を思い起こすと、
やはり義父と母は自閉症では無く、人格障害と考えた方が自然だと言う事が納得出来る。






話はそれたが。私は姉二人の末っ子。三番目の男は大切にされるのが相場だが、我が家は違った。






数々の記憶を集め、それを今の65才の私が見て初めて分かる事が沢山ある。






さらに、家族と言う固まりの中で生活していると、私と母親の関係は直接的な関係だから知る事も、
その他の家族間の関係は毎日一緒に生活しているが故に、実は知らない事の方が多い。






この、実は他の家族の事は全く分かっていない、と言う認識が出来て初めて色々な事が分かってくる。
これを一言で言うと「家族の闇」と言われるモノだな。






長女と結婚した義兄が「カーコちゃんとお義母さんは一卵性親子だね」良くそう言っていたが、
当時の私にはサッパリ意味が分からなかった。






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一卵性親子 [私たちの生育歴]

長女と結婚した義兄が「カーコちゃんとお義母さんは一卵性親子だね」良くそう言っていたが、
当時の私にはサッパリ意味が分からなかった。






それから30年以上経った今なら色々思い当たる節だらけだ。

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昨日書き忘れたが、母は戦後勤めていた教員を辞め結婚し専業主婦になっていた。長女を溺愛する母は、
とにかく長女は特別だった。何故そこまで長女に肩入れするのかは、母なりの事情がある様だが、
それは割愛。






「カーコは凄いね-、カーコは偉いねー」いつもいつも母と子供三人が集まるとこんな話だ。






当時、高度経済成長直前で休日は日曜だけ。サラリーマンの父は忙しく働き、家庭と言えば子供三人と
母親だけの閉ざされた世界だ。






「カーコは凄いねー」母は長女の教育には慎重で頭ごなしに叱るのは我慢していた様だ。その証拠に、
長女だけがハシの使い方をキチンと躾けられていない。






その反省か、タガが外れたか、衝動性の固まりが本性を現したのか、次女と、私に対しては容赦なしの
躾けと脅しと恫喝だ。






幼い子供に対しては、脅せば脅す程効果がある。






ひなまつりには、みんなでひな人形の飾り付けだ。長女はすぐ居なくなり、小学3年の私が、ひな壇を
組み立てあげ、次女と二人で緋毛氈を曳き、ひな人形を並べ手に手に道具を持たせ飾り付ける。
時々母が見に来て、右だ左だと指示して終わり。






飾り付けはまだいい。3日が過ぎれば片付けだ。「片付けが遅れれば嫁入りが遅れる」と言われても、
長女は全く気にも掛けない。結局次女と私が片付け役だ。これは次女が反抗期に入った頃に立ち消えに
なった習慣だ。






日曜の夕方は父も交え、一家が揃って夕食だ。
「カーコは過保護だ」父が言うと、私がカーコの代わりにすぐ否定する
「違うよ、違うよ、カーコちゃんは過保護じゃ無いよ。過保護は我が輩だよ。」
「我が輩が過保護なんだよ」家族の話は必ずそこで終わる。

ちなみに「我が輩」とは、私の自分の呼び名だ。






当時、過保護の意味を取り違えていたのだが、確かに長女は過保護で私には過干渉、次女はネグレクト
だった。






溺愛する長女に対して、私は男と言う事で父親と共通項が持てた。しかし、間に入った次女はまさしく
ネグレクトの状態。






くせっ毛なのに、手の込んだ三つ編みで、写真の真ん中にいる長女。おかっぱで放りっぱなしの髪が
爆発している次女。こんな所でも、そっぽを向いている自閉症の私。






この何気ない一枚の写真が家族の中での状態を示している。






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トロイのヘレン [私たちの生育歴]

「さっさとしなさいサッサとサッサと」いつもいつも毎日毎日、4才の頃から言われ続けていた。

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「ホントにあんたはのろまなんだから。トロイのヘレンだね」トロイのヘレンと言うのは、超古い
ベンハーか何か映画の登場人物だ。

トロイの木馬だったかな?






母の小言は食事中も絶える事無く続く。
「ホラ、いつまで納豆混ぜてるの。サッサと食べなさいサッサと」
「ホラ、そればっかり食べてないで、これも食べなさいこれも」
ホレッ!ハシが止まってるハシが。ぼーっとしない」
「いつまで食べてんの。サッサと食べ終わりなさい、サッサと」






一度なんか、いつも通り食事中に脅かされた拍子に、思いっきり軟口蓋をハシでつついて深さ5ミリ
ぐらい綺麗にへこんだ事があった。舌で触った感じでも穴があるし、指で触っても穴がある。鏡で
見ると何とか見える。






「お母さん見て見て、ほら、ハシでへこんじゃったんだよ。分かるでしょ?」
「なに?ドコ。全然見えない。何にも無いよ」
「嘘だよ。あるでしょ?見えない?」
「見えない見えない。何ともなってない」






このハシの先のへこみは成長と共に大分入り口だけ狭まってきたが、今でも開いてる。






食事中、私の監視をしているのが習い性になったみたいで、そのしつこさは大変だった。あまりに、
早く食えと言われ続けていたおかげで、中学になれば5分もあれば弁当を食えるしそれから今迄私より
早く食べる人に会った事が無い。






「食べ物で苛めちゃダメなんだよね。食い物の恨みは一生忘れないって言うからね」母の口癖だ。






母の独り言は、ハッキリ話すのが特徴だ。まるで自分の中の考えをそのまま実況中継している様な
感じだ。特に、私の事はどうも存在していない様な感じで、本当に色々な事をしゃべっていた。






「食べ物で苛めちゃダメなんだよね。食い物の恨みは一生忘れないって言うからね」
そう言いながら、私の事を食べ物で苛める






小学4年の時、私の食べられないモノだけの夕食が出た。大根の煮物と漬け物だけの食事だ。冬の大根、
特に北海道の雪の中で保存している大根は煮ると大根臭い。その臭いが子供の頃は耐えられなかったん
だ。さらに漬け物。漬け物も臭いがダメで食べられない。






次女が心配して「お母さん、今日トール君食べられるモノ無いよ。いいの?」「トールはいいの」






まあ、何か母の気に入らない事をしたんだろう。しかし、関連づけ、統合の弱い自閉症だから何が
何だかサッパリ分からない。






「お母さん、ふりかけかなんか無い?」「ナイッ!それ我慢して食べなさい!」
「だって大根嫌いだから汁しか飲めないよ」「だったら汁だけで食いなさい」
しょうが無く大根のカケラが口に入らない様に口をしぼめながら、ほんのチョット口を湿らせながら
ゴハンだけを食べた。寝ながら腹減ったなー。






何が原因で仕返しされてるのかサッパリ分から無いので、反省も出来ないし、「ヒトの気持ち」
も考え様が無い。只々母のトンデモエピソードが増えるだけだ。






中学になり、「トール弁当で嫌なモノ言いなさい止めるから」
「サンドイッチにミカンを挟まないで欲しいな。パンがグジュグジュになるんだ」






昼に弁当を見ると、ミカンのサンドイッチだ。不思議で、不思議で、結婚しても不思議だったが、
40才過ぎて「ああ、あれは嫌がらせだったのか」と気付いた。






知能の高い自閉症の子供にこの手の嫌がらせ、見せしめ仕返しは、自分がした事と仕返しが結び
付かないから全く効果が無く、教育的指導にもならず逆効果だ。

私に対する訴訟するぞ!の脅しと同じだ。






「ヒトの気持ちを考えよう」と言ったって、何が原因なのか考える糸口が無いんだから、
考え様が無いんだよね。


こうやって、日々エピソードが増える訳だ。






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ハレとケ [私たちの生育歴]

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まあとにかくウルサい母だったが、前にも書いた様に、長女には細心の注意を払い対応していた
みたいだったが、素の人格と言うモノはどこかで露わになる訳で、しわ寄せはすべて私に向いていた。






次女はネグレクトで居ないも同然。おまけ同然だが、殊更「お母さん、お母さん」と母の心配をする。
今でも続いているだろうな。






家族の中の心配事はすべて次女に相談だ。「カーコには余計な心配させたく無いから言うんじゃ無い」
と母は言い、結局次女はその話を私に話す事でガス抜きをする。






父が若く48才にして痴呆の兆候が見られたとき(今で言う家族性アルツハイマー、当時はアルツ
ハイマーと言う言葉すら無かった)私一人おかしい変だと訴えたが、母も、次女も一笑に付した。
しかしそのくせ「カーコには余計な事言うんじゃ無い」となった。






それが現実のモノとなった頃、次女は一人悶々と悩み、母に問いかけたが、「そんな事は無い。元々
変わった人だったし昔からそうだった」と一瞥だにされない。ところが嫁に出ていた長女を気遣い
「カーコには余計な事言うんじゃ無いよ」






母は「あんたは跡取りだから」も口癖だった。






「あんたは跡取りなんだからちゃんとしなさいちゃんと
「あんたは跡取りなんだから、石炭出しもちゃんとしなさい」
「あんだは跡取りなんだから、犬散歩行ってきなさい」
「あんたは跡取りなんだから松飾りサッサと付けなさい」
「あとはホラ、鏡餅飾って






ただのサラリーマン家庭で跡取るもんなんか無いじゃ無いか。何気取ってるんだ。 






この人は(母)晴れと褻(ケ)がハッキリしている人で、長女は晴れ、あとは






東大を出た従兄弟の結婚式。水道橋の学士会館に招待された。
選ばれたのは他家に嫁いだ長女夫妻とその娘、つまり孫、そして母。






もちろん跡取りの私も当然呼び出された






「トール、会社を休んで来てちょうだい。お父さん(この時もうボケてた)の世話はミヨコさんが
やってくれればいいから
パパさん結婚式に出てお酒が飲めないんじゃ気の毒だから車の運転させられないでしょ。」






その頃はまだ壊れる前だし、家族のマインドコントロールが解ける前だから、言われるままに夫婦とも
別々の会社に休暇願を出し、休暇をなんとか取って40km離れた実家に駆けつけた。






それから、今度は水道橋の学士会館まで往復120km、そして帰宅に40km。全行程200km






たしか、会社も休みがちでもう有給も無いから、休めば給料を減らされる。そして翌日は、疲れて頭が
痛くて結局欠勤






他家へ嫁いだ長女は我家を代表して学士会館のパーティへ、オレは皆さんの運転手だ。
跡取りだからね。オレは「跡取りの総領息子」だからね






まあ、こんなもんだ。こんな事もあった。






「トール、お母さん北海道へ一週間程用事があるから、あんた家へ来て犬の世話して
さすがにこの頃は、段々マインドコントロールが解けてきてた頃だから、
「カーコーちゃんすぐ近くなんだから頼んでみれば」
「カーコはお店があってそれどころじゃ無いでしょ!」
「オレもちょっと無理だなー。ペットホテルにでも頼めばいいんじゃ無い」
「ペットホテル!お金掛かるじゃ無い!」
「・・・」






言い忘れたがこの人は本当に吝嗇な人なんだ。自分が金を払うのが嫌なだけで、私が休んでその分
給料が減るのなんか全く頭に無い。大体もう30過ぎれば組織の中でそこそこの仕事もしているのだ。






一人人格障害が居れば、家族は本当に大変だ。






人格障害と言っても全てが事件を起こすわけじゃ無い。だた、一筋縄じゃ行かない人で、
トラブルの元となる人間性を持っているから、親に持つのも不幸だし、子供に持つのも不幸だし、
兄弟姉妹に持つのも大変だ。






書く事、エピソード枚挙にいとま無いが、あまり書くと夜うなされるのでこんなもんで。

私はこんな環境で育ち小学5年で自殺を試みたが果たせず、鬱を持ち続けそして壊れた。






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