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記憶の形 [自閉症の定義]

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「つらく悲しい」 つらく悲しく概念化出来てしまう普通人は、
楽しい事も「楽しい事」と概念化して記憶出来るから、
記憶の手間、記憶の行程、記憶のコストが掛からず安く、
簡易に済ます事が出来る。







毎日生きていくだけで色々な出来事が起きる。
それをすべて覚えていたら、膨大な量になるので、普通人はそれを
「概念化」と言うプロセスを経て、簡単な形に圧縮変換し、
「楽しい事」「つまらない事」「どうでも良い事」「悲しい事」に
自動で振り分け、さらに「楽しい事」は残すようにして
「嫌な事」「忘れたい事」はなるべくゴミ箱に自動で捨てるように
プログラムされている。






だから、「人の記憶はあいまいで、不確かなモノだ」と言う話になる。







一方、私たち「普通人」とは異なる「自閉症」の場合、
元々概念化の能力が無いから、
取りあえずそのまま記憶するしか無い。
特別に記憶力が良いわけじゃ無い。







何かのきっかけで記憶してしまった事を記憶しているだけだ。
そのきっかけをつかめないと、全く記憶しない。







この構造は恐らく脳内の神経構造、
つまりハードウエアが普通人とは違うのだと思う。






ハードウエアが同じで、載っているソフトが違うだけなら、
後から「概念化ソフト」を入れれば同じ「普通人」になり得るが、
「概念化ソフト」はアプリケーションでは無く、
初めから組み込まれた「ロジックに書き込み済み」ソフトだから、
後から入れる事は不可能







そう考えると、自閉症の脳構造が、
ハードウエアが違うと考えるのが自然だ。







「私は楽しい事しか覚えてないよ」こういう人に、
「じゃあどんな事?」と聞いても
誰1人具体的な楽しかった思い出を語る人に出会った事が無い







逆に、3才の時に踏み台から落ちて唇が切れて血が出た。とか、
小学校の時の千草和え不味かった。とか、
学校へ行って気持ちが悪くなると毎回朝ご飯食べなかったんじゃないの
としか言わない保健の教師の話とか、
幼い時から今までの具体的な話しかしない人に、1人出会った事がある。







それが、私の妻で、私が言う事も、昔の、良く言えば思い出話、
恨みつらみの具体的な話ばかり。
相互のエピソードを付き合わせ、如何に体育教師に嫌われたか。
如何に給食が不味かったか。
すべて、具体的なエピソードで話を共有した。







普通人が「楽しかった事」一言で済んでしまうが、私たちは





「楽しかった事なんか無いよ。
 強いて言えば、大学の時楽器を吹いて・・・・・・」と






ひょっとしたら楽しかった事に分類されるかもしれない出来事を呼び出す。






しかし、その事には、嫌な事や、面倒くさかった事や、
寒かった事や暑かった事や、腹が減った事や、色々な事も付随するから、
簡単に楽しかった事なんて言えない







つまり、かいつまんだ「概念化」が出来ないそのモノだ。







人の記憶はあいまいです。
しかし、ヒトにあらず自閉症である場合
記憶はそのまま記憶する。





但し、この但し書きが重要。





但し、その記憶(私の場合、記憶とその映像)
変わる事は無いが、大人として解釈が変わる事はある







この解釈が変わると言う所が重要で、私自身、私の子供時代を、
私の母親よりも年かさが増した今記憶をそのまま再現すると、






どれ程私の母親が世間知らずで、しかし家の中で威張り、
力の無い子供をいたぶっていたか良く分かる。






だから、酒鬼薔薇聖徒が出所して自伝を書いたと聞いても、
彼の年齢、社会経験から見ても、自分の状況をきちんと把握し、
上手に解説出来るとはとうてい思えない。






自分自身が行った事の解釈、或いは解説が出来るようになる時は、
恐らくもう世間からその事を望まれない様な遙か先の話だと
私は考えている。






何故か。だってマインドブラインドネス
自分自身の内面を知る事が出来ない障害なんだから。


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